レス数が 200 を超えています。残念ながら全部は表示しません。

プロ下山家の栗城史多


▼ページ最下部
※省略されてます すべて表示...
043 2012/11/07(水) 04:42:19 ID:TvQ7ESEFZs
こういう職業の人は、起こった結果について一般人から無邪気に同情されると、
逆に胸が詰まる事が多い。
(他人の無償の情/優しさに触れると、眠らせていた人間らしい感情を思い出して、自分が辛くなる)。

「このバカたれ!他人にまで迷惑をかけて、何やってんだ!二度とやろうと思うなよ!!」と
周りの諸先輩から叱られていると、
「またやってやる!二度と失敗しないさ…」と胸に闘志が何故か湧いて来きて、
また前向きに生きられる。

そういうタイプの人が、冒険屋という人種には多い。

例:人格形成に大きな影響を与え得る青年期に、
上下関係が厳しい体育会系社会という特殊な環境に居る/そういう環境の中で育つと、
“先輩風を吹かす周りの煩い連中”という外部からの抑圧や鬱積を「挑戦と結果」によって“黙らせられる”(失敗後には、同情されて優しくして貰える)という事が人生観に刷り込まれ、
結果として『孤独と冒険の中に生きる』事を無意識的に追い求め、
危険の中に居る自分と向き合う瞬間を感じられる事が、その人にとっての人間らしい生き方(=人生)と同意儀になる。

脳内麻薬がバンバン出る危険な環境下を潜り抜けて、
“挑戦した自分へ他人の意識が大きく向く、得られるモノが在った”という快感を覚えて報奨を手にすると、もう駄目よ
(何を言っても止まらない、誰も止められない人になる)。

「悪い奴は居ない」と信じたいが、
時として無関係な周りの人々にリスクを負わせ、危険な事に巻き込む&引き込む。

そういうタイプの人が冒険屋さん。

常に結果は自己責任の上に成り立つが、
挑戦者の捜索や救助の際に命を落とす人も居る事も事実。

云々と彼らの人格を批判したいのでは無く、他意の無い一般論。

また元気に挑戦している姿を見たいが、それを彼らに求める事も罪だと思う。

返信する


▲ページ最上部

ログサイズ:71 KB 有効レス数:201 削除レス数:0





アウトドア掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

スレッドタイトル:プロ下山家の栗城史多

レス投稿